

イラク戦争15年-イラク戦争の検証を求めるネットワーク声明
イラク戦争15年 ーイラク戦争の検証を求めるネットワーク声明ー 今年の3月20日にはイラク戦争から15年になります。イラク戦争はアメリカやイギリスなど開戦した国々ですら「間違った戦争」と認めた戦争です。開戦の口実となった大量破壊兵器は見つからず、逆に内戦状態に陥り、IS(=イスラム国)が台頭するなど世界中にテロの拡散と混迷を招きました。イラクの人々は「テロ」と、それを撲滅するはずの「対テロ」の双方によって命を奪われ続けているのです。 あの時、日本はいち早く米英の開戦に支持を表明しました。世論の反対を押し切ってイラクへの自衛隊派遣も断行しました。なのに…日本では、開戦国ですら誤りを認めている戦争の大義について誠実な検証が行われていません。 現在、日本のすぐそばでも新たな戦争の開戦危機があります。アメリカと北朝鮮の攻撃的な言葉の応酬、脅威を煽るメディアはイラク戦争開戦前を思い起こさせます。 あの時、イラク同様、「悪の枢軸」と呼ばれた北朝鮮が核開発をすすめたのは、「安易に武装解除に応じて、イラクの二の舞になることは避けたい」という警戒感からだったのでは


イラク戦争15年に寄せて⑧
2003年の「イラク戦争」直後に、私も戦後のバグダッドに数回通って取材した。しかし、あれから十数年、私は現地に戻っていない。 その後、シリア情勢が悪化し、中東報道の焦点はシリアに移った。犠牲者が2000人を超えるガザ攻撃のような大事件が起これば、今度は世界の注目はパレスチナへと移るが、すぐに次の大事件、大惨事へと国際社会の注目や報道はスウィングしていく。そんな状況の中で、ほんの十数年前のイラク戦争も「過去のこと」「終わったこと」として人びとの記憶から消えていく。 しかしその後、世界を揺るがすIS(イスラム国)の出現、混とんとした現在の中東情勢の元凶の一つがあのイラク戦争であったことを考えれば、私たちはそれを記録し記憶し続けなければならず、あの戦争を引き起こしたアメリカや、それを全面的に支持し追随した日本の責任を問い続けなければならない。 だが私自身は、そう頭ではわかっていても、自分自身のライフワークである“パレスチナ”やフクシマの取材・記録に日々追われ、イラク戦争に関して何もできていない。だからこそ、それを伝え続けるジャーナリストや平和活動家の方


イラク戦争15年に寄せて⑦
イラクに初めて行ったのは1998年でした。 1991年の湾岸戦争から7年目でした。 多くの子供達が戦争の時に使われた劣化ウラン弾で病気になり、 苦しんだ末に私の目の前で亡くなって行きました。 戦争が終わったのに、戦禍は続いていました。 そんなイラクにまた新たな戦争が2003年に始まりました。 あの戦争によって、何もかもめちゃくちゃにされた人々が 500万人、 家や家族を国を失って、今も苦しんでいます。 戦地に行ったアメリカ兵もまた帰国してからも苦しんでいます。 この二つの戦争に日本は加担しています。 私たちに何ができるのか、それはまず知ることです。 自分と同じ、人間が戦争でどんな体験をしたのか、なぜ そうなったのか、 これからも起きるかもしれない戦争を防ぐにはどうしたらいいのか、本気で考えることです。 鎌仲ひとみ(映像作家) イラク戦争は、存在しない大量破壊兵器の廃棄を目的として、先制攻撃ドクトリンに基づく戦争として、国連憲章が定めた戦後の戦争秩序を崩壊させました。武力によって体制を崩壊させてイラクに民主主義をもたらすという「ネオコン」の政治目的


イラク戦争15年に寄せて⑥
イラク戦争を検証し、二度と同じ過ちを繰り返してはならない。 イラク戦争は法的にも、政策的にも、道義的にも、間違った戦争であった。 この戦争の結果が「イスラム国」を生み出し、 北朝鮮に非核化のための対話路線を放棄させた。 21世紀を「テロ」と対テロ戦争と核拡散に導き込んだと言える。 だからこそ、15年たった今でもこの戦争を検証し、 間違った歯車を正さなければならない。 日本政府が改憲の前にやるべきはこのことである。 谷山博史(イラク戦争の検証を求めるネットワーク 呼びかけ人・ 日本国際ボランティアセンター(JVC) 代表理事) 「IRAQ DAY 」に参加される皆さんへ 「10年はひと昔」でも、傷ついた人々には「昔」にすることの出来ないイラク戦争がありました。いえ、過去形で語ることはできないでしょう。まして、イラクの社会を崩壊させてしまうような戦争で、しかも、それはいまも続いているのですから。 「でも、イラクって遠い所でしょ」と思うあなたにこそ、知って欲しいのです。 本当に遠い所なのか、と。 もし、仮に遠い所なら、なぜ、そんな遠くまで日本の国は自衛


イラク戦争15年に寄せて⑤
相手のことを知ってみることで気がつくことがたくさんあります。 イラクってどこにあるの?イスラム教ってどんな宗教?どうして戦争がおこるの? 日本の暮らしの中で浮かんでくるシンプルな疑問に触れてみると 世界とつながるきっかけを誰しもが手にすることができます。 私にとってもイラクとつながるきっかけはそこにありました。 イラクとこれからも関わっていきたい。 いつもそう想っています。 渡部陽一(戦場カメラマン) イラク戦争では日本も参戦国です。日本政府は米国を全面支持し、自衛隊の派遣を行ない、戦争遂行のため、数千億円のカネを準備しました。そのことを日本人は忘れてしまったのでしょうか。今も犠牲となっている多くのイラクの人びとに対する責任は、私たち一人ひとりにあります。私たちは何をすべきなのか。私たちの責任を果たすため、考え続け、行動していきましょう。 野中章弘(ジャーナリスト/大学教員) このメッセージを書いている今、イラクにいます。 モスルの街は「イスラム国」とイラク政府・有志連合軍の戦いで破壊され、 イラク政府によるクルド自治政府への制裁で緊張状態が続き


イラク戦争15年に寄せて④
(元海兵隊員より日本の「イラク戦争を知らない世代」のみなさんへ) 僕は、子どもの頃は戦争反対!と思っていたし、戦場で生きなければならない人たちのことをいつも気にかけているような子だった。だけど、高校を卒業する頃には、ごく普通の十代の子たちのように将来に不安を感じていた。僕はみんなに好かれたかった。周りの男たちに、タフな奴だと思われたかった。女の子には勇敢な男だと思われたかった。それより何より、刺激的な冒険を欲していた。その時点で、僕はそれまで思っていた”戦争はダメ!“ってことをすっかり忘れてしまい、米海兵隊に入ることを決めてしまった。自分本意な決断だった。そのことを今でも悔やんでいる。海兵隊に入って1年後、僕はイラクに派遣され、この目でイラクの人々を直視することになった。彼らは、当然ながら、占領に加担する僕に怒っていた。僕自身は、彼らの弾圧者になりたくはなかった。けれど、あの時の自分本意な決断が僕をそんな状況に追い込んだんだ。そう気付いた時は、手遅れだった。 For most of my childhood I was against war a


イラク戦争15年に寄せて③
生と死の狭間の15年。 戦乱や混乱の傷跡を抱えつつ、イラクの人たちは前に進もうとしている。
ならば、私たちはその戦乱や混乱の傷跡を見つめつつ、
日本とイラクの過去と未来も見つめる必要がある。 綿井健陽(ジャーナリスト・映画監督) イラク戦争では自衛隊をイラクに派遣し、自衛隊は米軍の「テロとの闘い」を支えました。 イラク戦争で犠牲になった市民は65万人とも言われています。 私たちは、かけがえのない、多くのイラクの市民の生活を、人生を、命を奪う立場に、 アメリカと一緒に立ちました。 いまなお、憎しみと悲しみの連鎖が拡大しているイラクの市民に対して、 私たちは加害者としての責任を負っているのではないでしょうか。 憲法改正が現実味を帯びてきた今こそ、イラク戦争でなぜ私たちは加害者となったのか、 どのような加害を犯したのか。 その問い直しをしていくことが必要なのではないでしょうか。 同じ過ちを繰り返さないために。 さらに大きな過ちを犯さないために。 川口創(弁護士・イラク派兵差止訴訟弁護団事務局長) 僕にとってベトナム戦争がそうだったように、イラク戦争


イラク戦争15年に寄せて②
イラク戦争前、イラクのこどもたちには笑顔がありました。 しかし、国連の経済制裁によって、市民の暮らしは厳しいものでした。 医薬品は手に入らず、助かるこどもたちが次々と亡くなっていきました。 十分な食べ物もなかったのです。 私は、大量破壊兵器を作れる経済力が無いことを取材をしていてよくわかっていました。 アメリカは平和を愛する世界の世論を無視して戦争に突入しました。 日本は真っ先にアメリカの侵略戦争を支持し、自衛隊を派遣しました。 あれから15年、出口の見えない混乱の責任の一端は私たちにあります。 イラクのこどもたちに笑顔を戻すために私たちは何をしなければならないのか? あのとき戦争を止められなかった私たちの責任を考え続けなければなりません。 森住卓(フォトジャーナリスト) イラク戦争が始まる1ヶ月前、イラク・バグダットで戦争反対の声を上げた。 あの時、出会ったイラクの人々が今どうしているか、果たして生きているのか、 それすらも私にはわからない。 あの戦争から15年。 私たちにできること、すべきことを改めて考えたい。 雨宮処凛(作家・活動家) イラ


イラク戦争15年に寄せて①
あれは「私たちの戦争」だった。私たちの国が海で、空で、陸で直接関与し、私たちの70%が反対し、私たちの多くが声をあげ、言葉を費やし、街頭に繰り出した。 この「私たちの戦争」によって、おびただしい人々が命を失い、今なおおびただしい人々が痛ましい人生を余儀なくされている。15年という区切りの刻に、過去を振り返り、意識に刻み込み、困難な未来を見据えたい。 池田香代子(ドイツ文学翻訳家) 15年前、僕はどうしても戦争を止めたくて、イラクに行って「人間の盾」になりました。戦争は止められませんでしたが、イラクにたくさんの友達ができて、アートや歌などの交流を通して、イラクのすてきな文化を日本に伝え続けてきました。今年はイラク戦争から15年です。破壊と殺戮は止むことなく中東アラブ世界に広がり、ここ日本も含め世界ぜんたいが壊れていく一方ですが、イラクでも、どこでも、そこに人が生きているということを知ってほしい。壊される前に、そこにどんな人が生きていて、一人ひとり、どんなすてきな物語を紡ぎ、描き、歌ってきたのか、想像してほしい。忘却は愚かな歴史を繰り返し、やがて自分