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イラク戦争15年に寄せて⑧

 2003年の「イラク戦争」直後に、私も戦後のバグダッドに数回通って取材した。しかし、あれから十数年、私は現地に戻っていない。

その後、シリア情勢が悪化し、中東報道の焦点はシリアに移った。犠牲者が2000人を超えるガザ攻撃のような大事件が起これば、今度は世界の注目はパレスチナへと移るが、すぐに次の大事件、大惨事へと国際社会の注目や報道はスウィングしていく。そんな状況の中で、ほんの十数年前のイラク戦争も「過去のこと」「終わったこと」として人びとの記憶から消えていく。

 しかしその後、世界を揺るがすIS(イスラム国)の出現、混とんとした現在の中東情勢の元凶の一つがあのイラク戦争であったことを考えれば、私たちはそれを記録し記憶し続けなければならず、あの戦争を引き起こしたアメリカや、それを全面的に支持し追随した日本の責任を問い続けなければならない。

 だが私自身は、そう頭ではわかっていても、自分自身のライフワークである“パレスチナ”やフクシマの取材・記録に日々追われ、イラク戦争に関して何もできていない。だからこそ、それを伝え続けるジャーナリストや平和活動家の方々の活動に心から敬意を表したい。

土井敏邦(ジャーナリスト)

 あれは、欺瞞と強欲から始まった戦争だった。世界中が反対する中、国連憲章が禁じる先制攻撃をイラクに対して行った、米国のブッシュ政権。口実とされた、生物・化学兵器はイラクには無かったし、それは国連の査察でもほぼ明らかになっていたことだ。それでも、「イラクを民主化する」「テロを根絶する」と戦争に突き進んだブッシュ政権の面々は、石油やら兵器やらの利権にまみれた者ばかり。そんなバカげた戦争のために、あまりに多くの人々が、理不尽に死んでいった。

 実際、私はこの目で見た。爆撃で、住宅地に巨大なクレーターのような大穴があき、そこにあった家々は跡形もなく吹き飛んでいた。現場には、教科書とぬいぐるみが散乱していた。病院も攻撃され、救急車も黒焦げにされた。クラスター爆弾などの非人道兵器が何度も使われ、放射性物質である劣化ウラン弾もばらまかれた。

 私の知人・友人も無事ではすまなかった。カメラマンのアリは、イラクで米軍が何をやっているかを報道したために、米軍に何度も拘束され、酷い拷問も受けた。戦争でフセイン政権が倒れ、イラクの政府は「民主化」されるはずだったのに、その政府が嫌う者、抵抗する者は、皆、殺された。弟が米軍の空爆で殺されたため、この戦争を支持した日本から陸上自衛隊がイラクに来ることに反対していたマルワンは、イラク政府シンパの民兵に殺されそうになり、国外に亡命せざるを得なかった。国内避難民キャンプで出会った少女イプティサムちゃんは、米軍の猛空爆の恐怖で心が壊れ、話すことも歩くこともできなくなってしまった。それぞれ、名前をあげればキリがない。皆、家族や親族を殺され、自身も拷問を受け、故郷を追われている。

 米兵達も4000人以上が死亡した。帰国した米兵達も心を病み、次々に自らの命を断っている。反米感情の高まりから生まれたモンスターが、いわゆる「イスラム国」、ISだった。ISを掃討する軍事作戦で、多くのイラクの市民が巻き添えとなった。イラク戦争開戦から現在まで、報道されただけで約20万人の民間人が殺され、200万人以上の人々が国内避難民となっている。イラク情勢は混迷し続け、いつ、本当の平和がイラクに来るのか、誰にもわからない。

 米国と共に多国籍軍へ軍を参加させたイギリスやオランダでは、イラク戦争が検証された。大量破壊兵器情報は歪められたものであったし、戦争自体、国連憲章に反するものだと判断された。一方、日本では、今も政府はイラク戦争を支持・支援したことを、誤りだった、と認めていない。安保法制で、米国の戦争に自衛隊が駆り出されることになるかもしれないのに、安倍晋三首相は国会で追及されても、イラク戦争に日本が加担したことへ反省を見せなかった。

 開戦から、15年経つ今、本当は誰の目にも、わかるはずだ。あまりにイラク戦争のもたらした災厄が大きすぎることを。忘れてはいけないし、何も終わっていない。そのことから、日本の人々は目を背けないでほしい。

志葉玲(ジャーナリスト)


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