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イラク戦争15年に寄せて④

(元海兵隊員より日本の「イラク戦争を知らない世代」のみなさんへ)

僕は、子どもの頃は戦争反対!と思っていたし、戦場で生きなければならない人たちのことをいつも気にかけているような子だった。だけど、高校を卒業する頃には、ごく普通の十代の子たちのように将来に不安を感じていた。僕はみんなに好かれたかった。周りの男たちに、タフな奴だと思われたかった。女の子には勇敢な男だと思われたかった。それより何より、刺激的な冒険を欲していた。その時点で、僕はそれまで思っていた”戦争はダメ!“ってことをすっかり忘れてしまい、米海兵隊に入ることを決めてしまった。自分本意な決断だった。そのことを今でも悔やんでいる。海兵隊に入って1年後、僕はイラクに派遣され、この目でイラクの人々を直視することになった。彼らは、当然ながら、占領に加担する僕に怒っていた。僕自身は、彼らの弾圧者になりたくはなかった。けれど、あの時の自分本意な決断が僕をそんな状況に追い込んだんだ。そう気付いた時は、手遅れだった。

For most of my childhood I was against war and I always cared about the poor people who have to live in war zones. But when I graduated from high school, I was feeling like a very ordinary teenager. I was insecure. I wanted people to like me. I wanted men to think I was tough and women to think I was brave. And more than anything else, I was looking for adventure. At that moment I forgot about all the ways that I knew war was wrong and decided to join the US Marine Corps. It was a selfish decision, and I regret it to this day. One year after joining, I was sent to Iraq and I had to look Iraqis in the eye. They were rightfully angry with me for helping to occupy their country. I didn’t want to be their oppressor, but one selfish decision put me in a situation that I didn’t really understand until it was too late.

ロス・カプーティ(元海兵隊・イラク帰還兵)

イラク戦争直前にイラク医療支援団体を立ち上げたので、私たちも15年になります。抗がん剤を中心とした薬剤支援から始めて、現在はイラク人医師の愛知県内の病院での医療研修実施がメインの活動になっています。これまで40名を超える医師らが学びイラクに医療技術を持ち帰って奮闘しています。

名古屋はいつでも「イラク各地から到着したばかりのイラク人がいる」状況です。彼ら自身が避難民だったり、小児がんの子どもを抱えていたりもします。彼らと接する中でその時点での率直な思いを聞かされ、日本人が学ぶべきことをいつも突きつけられている感じです。イラク戦争を肯定的にとらえている方は皆無に近い(クルドの方については招聘実績なく未確認)。サダムフセインに長らく弾圧され、イラク戦争後の勝ち組といわれているイラク南部からの方々ですらそうです。

外国勢力がイラクで好き勝手をやって、イラク市民の命がその代償とされていることへの怒り。汚職蔓延の政府に対する絶望。ISという化け物の登場と退場。それやこれやがすべてアメリカのイラク戦争に起因していると考えるイラク人がほとんどのように思えます。

日本人は都合良く忘れっぽく、アメリカの侵略戦争をいの一番に支持したことすら意識しないままに、あまねく法律を変えて戦争軍団の一翼を担うような時代に突入しています。このような時代だからこそイラクの教訓を広く伝えたいと思っています。

小野万里子(弁護士、NPO法人セイブ・イラクチルドレン・名古屋)

「北朝鮮報道」を見てると、イラク戦争開戦前の緊張感を思い出してしまう。イラクはあの時、大量破壊兵器の査察を受け入れていた。大量破壊兵器査察団は「もっと時間が必要だ」と言っていたのに、米英は先制攻撃を強行してしまった。我が国日本はそれを即座に支持。私の人生が一変したのはこの時だった。

演習場の横で生まれ育った私が、戦場に行ってわかったこと。それは、どんなに兵器がハイテクになっても、サクッと終わる戦争なんてないってこと。「ピンポイント爆撃」の下にも、「対テロ攻撃」の下にも、巻き添えになった人々の赤い血と慟哭があった。そこからほとばしる強い怒りは、それだけで人を殺せそうなほど激しかった。

15年経っても、私はいまだに、終わらない戦争の被害者支援と緊急支援をやっている。「逃げる」ことの過酷さ、「巻き添え」の悲惨さ、再建しては破壊され、そんな15年。

あぁ、これがゲームだったらやり直せるのに…。

あぁ、あの時、どんなに長引いても、「武力」ではなくて「対話」の道を選んでいたらこんなにも多くの命が奪われることはなかっただろうに…。

間違いだらけのイラク戦争。そこに、さらなる「間違い」を重ねてきた私たち…。

でも、今ならまだ間に合うんじゃないか?軌道修正できるんじゃないか?

私たちの「間違い」を見直せば、道は開けるんじゃないか?

戦争を終わらせるために、戦争を始めないために、この戦争を語り続けよう。

イラク戦争から15年の節目に、そう誓おう。

高遠菜穂子(イラクエイドワーカー)


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