イラク戦争15年に寄せて①

March 3, 2018

あれは「私たちの戦争」だった。私たちの国が海で、空で、陸で直接関与し、私たちの70%が反対し、私たちの多くが声をあげ、言葉を費やし、街頭に繰り出した。

この「私たちの戦争」によって、おびただしい人々が命を失い、今なおおびただしい人々が痛ましい人生を余儀なくされている。15年という区切りの刻に、過去を振り返り、意識に刻み込み、困難な未来を見据えたい。

池田香代子(ドイツ文学翻訳家)

 

 

 

15年前、僕はどうしても戦争を止めたくて、イラクに行って「人間の盾」になりました。戦争は止められませんでしたが、イラクにたくさんの友達ができて、アートや歌などの交流を通して、イラクのすてきな文化を日本に伝え続けてきました。今年はイラク戦争から15年です。破壊と殺戮は止むことなく中東アラブ世界に広がり、ここ日本も含め世界ぜんたいが壊れていく一方ですが、イラクでも、どこでも、そこに人が生きているということを知ってほしい。壊される前に、そこにどんな人が生きていて、一人ひとり、どんなすてきな物語を紡ぎ、描き、歌ってきたのか、想像してほしい。忘却は愚かな歴史を繰り返し、やがて自分たちのところにやってきます。取り返しのつかないことになる前に、僕たちが世界の友と平和な未来を創っていくために、今一度立ち止まって、15年前のイラク戦争とはなんだったのか、一緒に考えてみましょう。

相沢恭行 (国際平和文化交流の会PEACE ONピースオン主宰

シンガー・ソングライター)

 

 

2002年9月、初めてイラクのバグダッドに行きました。

小児がんの病棟を訪ねたとき、がん患者の家族が寄ってきて、

薬がほしい、日本で治療してほしいと言ってきました。

担当の医師に何か支援ができないのかと聞いたら、

「がんの治療は2-3年かかります。 支援を途中でやめてしまうと意味がない。 中途半端な支援は偽善にしかならない。 イラクは石油がとれる国なので、戦争がなくて、 経済制裁がなくなれば、自分たちでやっていけるんです。日本は、 声をあげて、戦争を止めてほしい」

と言われました。

しかし、戦争がはじまり、劣化ウラン弾が使われました。また、 劣化ウラン弾だけでなく、戦争による環境破壊は続き、 有害物質がたれ流されています。

この15年間、私たちは、 小児がんの子ども達の支援に尽力してきましたが、

イラクの治安が良くなることはなく、家を失う難民や国内避難民、

その中でも、がんの病院に薬がない状況が続いています。

しかし、イラクの関心は薄れ、特にがんの子どもたちは無視され、 見捨てられています。

15年経った今も、必要とされる限り、子ども達の支援を続けていきたい。 子ども達に寄り添っていたい。決意を新たにしたいと思います。

佐藤真紀(日本イラク医療支援ネットワーク事務局長)

 

 

 

2001年からイラクの北部地域を中心に現地取材を続けています。ISによって最も過酷な状況に追い込まれたのが北西部に暮らしてきた少数宗教ヤズディの人たちでした。殺され、奴隷にされた友人、知り合いがいます。人ごとではありません。この状況を作り出したイラク戦争。そして2011年末の米軍の撤退後、日本でもイラクへの関心がなくなりました。それら世界の無関心がISの拡大につながったと考えます。そして、「ISの崩壊」により、イラクは再び忘れ去られようとしています。

玉本英子(ジャーナリスト)

 

 

3.18イラク戦争15年記念イベント IRAQ DAY

 

 

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